2017年10月15日

餅巻き17袋!

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行縢少年自然の家へ、息子の太鼓の合宿を応援に行きました。ちびっこたちがみんな、頑張ってましたよ。
稲田雅之議員の娘ちゃんと、選挙カーにも乗りました。候補者が全国へ弁士に出ているため、候補者の席に座り、役不足ですが何度かマイクを持たせていただきました。
そして、土々呂の浜まつりへ!!
ここでは、稲田雅之議員が実行委員長として頑張っていました。
今日は、稲田親子にお世話になりました。
息子が頑張って、餅巻きの餅を17袋もゲット!
posted by うちだりさ at 22:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛宕山の秘密

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「愛宕山、3つの謎解き」

笠沙の会主催で、古事記と延岡の3つの謎解きの会に参加しました。
笠沙の御崎の碑、有馬康純公歌碑、御手洗神社、極天様(ごってんさん)を回りました。

3つの謎のは…
@ 古事記の「天孫降臨」では、「空國(からくに)に向かい、笠沙の御前を眞來通りて」とあります。
A 日本書記の「天孫降臨」では、「吾田の長屋の笠狭碕」とあります。
B 日向國風土記逸文の「天孫降臨」では、ニニギノミコトが降りたところを「日向の高千穂の二上の峯に天降りましき」とあります。

笠沙の会では、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出逢いの聖地は延岡である!と発表しています。
【理由】
・天孫降臨の地 高千穂は、延岡に近い。
・吾田(縣)は、延岡の旧名である。1656年6月まで、縣藩であった。
・愛宕山は、1601年までは笠沙山と呼ばれていた。城山より愛宕神社を笠沙山に移築されたことによる。
・コノハナサクヤヒメの本名には、「吾田」と延岡の地名が入っている。
・コノハナサクヤヒメの子どもである「山幸彦」の本名 祝子(ホウリ)ノミコトは、延岡の地名である。
・出逢いの聖地を表す川である「逢瀬川」は、延岡の大瀬川である。明治以前まで「逢瀬川」であった。
・北川町にあるニニギノミコトの御陵墓は宮内庁参考地であり、可愛岳山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」である。
理由はまだまだあるが、等々…

有馬康純公の歌碑には、こう書いてあります。
「笠沙山 時鳥 はれぬおもいを さみだれの」
江戸時代、やはり笠沙山と呼ばれていたのですね。

各地で、天皇が手を洗った神社を「御手洗神社」と奉じている。ここは、水が耐えないそうです。昨日も、透き通った水が溜まっていました。

極天さまは、笠沙御殿であったのでは。ニニギノミコトの皇居があった可能性がある。昔、「笠沙のごってんさん」と呼んでいた。
ごってんさんの社の紋が、「笠」と「笹」である。「笠沙山の御殿」は古事記の中で、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが結婚して宮柱を建て住まわれたとある。
女人禁制だった笠沙の御崎に、有馬直純の妻 徳川家康の孫 国姫(日向御前)は登りました。そして、その証として鳥居を設置。今も残っていることが、とても嬉しいです。

愛宕山がまた再び観光地となるよう、観光地としての整備を進めたいですね。笠沙の御殿、見たいですねー。
posted by うちだりさ at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする