2017年02月26日

barブロンズ

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昨夜の「barブロンズ」での郷土愛を語る講演会、柳田勝士マスターの「好きなことだけを貫いて生きる」生きざまに、感服いたしました。

マスターは延岡空襲の時、3才だったそうです。下着とパンツ姿で「逃げろー!」の声に急いで大瀬川の中へ逃げ、その川は油が流れ生温く、石が熱かったそう。仕掛け花火の何倍もキレイな光景。脳裏に焼き付く。ガタガタ震える体。目の前をタンカーが通りすぎ、タンカーの上には95%火傷した母親と丸焦げになった赤ちゃんが。母親は丸焦げの赤ちゃんの名前を呼び続ける。
松山町や宇和田の親戚の家へ、いろんな物が刺さった足で、とても歩ける状態ではないまま、逃げる。母から、食べれる草を教えてもらい、草を食べながらなんとか生き延びた。

「俺の人生は、雑草のような人生」

マスターは、焼け焦げた赤ちゃんを見た瞬間が、自分の人生の原点だと言います。
「人生、遊ばないと損。いつか焼夷弾が落ちてくる。」
勉強は嫌い。遊んだ方がいい。しかしあまりものショックで4年間、声が出なくなった。
とにかく遊んだ。授業も出ない。高校を二度も中退し憧れの東京へ。そして、学校にはほとんど行かず、遊ぶ。お金が無くなったと、親に電報を打った。ある日、延岡弁でいじめられ、また声が出なくなる。
父親から延岡に連れ戻された。
30才になって、何かしょう!と考えだした。友達にbarに連れていかれ、楽しかった好きな音楽も聞くことができた。「barをやりたい!」
自己流でbarをスタート。カクテルが作れず、お客さんに教えてもらうことも。
昔はおうちにテレビがなかったので、みんな外に出て遊んだ。barはいつも満員。多いときで売り上げが50万円。鹿児島、大分、熊本からもお客が来た。1990年代は、外国人の客が多かった。
ビリヤードやダーツなど、自分が好きなものを店に置いた。自分で半年かけて作った人形で、動画を作るのが趣味。テレビにも出演した。
未だに、遊びだけをしている。365日、店にいる。barは苦じゃない。お金の執着は全くなく、40万円をポケットに入れたままクリーニングに出したことも。

雑草のような人生は未だに進行形のようですが、マスターの遊んで生きる!「魂」を感じました。
barブロンズの名前は、ゴールドでもシルバーでもない地味なブロンズから名付けたそうです。45年前に買ったブロンズでできたたくさんのイタリア製 照明が、今もマスターを優しく包んでいました。
posted by うちだりさ at 21:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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