2017年02月26日

延岡のお城

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昨日、史談会の講師は、青朋高校副校長の甲斐典明先生でした。

「延岡のお城」

宮崎県の県北に、いくつのお城があったと思いますか?
220 城もあったそうです!! 218号の源太付近の小高い丘も、お城(「備後屋敷」びんごやしきと呼ばれた)の跡だそう。。。
一国一城令により、県内4つのみとなりました。
また、有馬家の親戚血筋がスゴいんです。写真の通りです。
昨年の大河ドラマの幕府の大名はじめ、藩主方がずらり。 延岡藩 国姫(日向御前)のお陰で、徳川家、江戸幕府との関係が強かったんですね。ですから、有馬藩の時の延岡城(櫓)は、高橋藩の時と同じく東九州で一番南の日向国唯一の織豊系近世城郭(織田信長、豊臣秀吉の一族や家臣達によって築かれた)だったということです。
また、江戸城と一緒で、延岡城の西側には長い距離のお花畑があったそう。まさに!!今、開催されています「延岡花物語」は、時空を超えて我々祖先が作っていたお花畑の再現のようなものなんじゃないかと、私は、思いました。
これに、またまた感動!
また、計算し尽くされた城下町プランにも感動しました。
そして、なぜ延岡城はあの城山に建てられたのか。
考えられるのは・・・
一直線軸@→可愛岳-城-愛宕山(笠沙の岬)が直線・・・だから、愛宕神社は城山から愛宕山に移されたのでは。
一直線軸A→今山八幡宮-城-南平櫓-元日向口-天守山
一直線軸B→台雲寺-城-春日神社

まだまだ史実に基づく視軸があります。写真の通り。延岡城三階櫓は、これら全ての視軸でクロスしています。

ここでは説明尽くせぬ、説かれつつある謎がたくさんあります。
江戸幕府との繋がりが強かった延岡(縣)。幕府はあえて、九州の中間である延岡の地に、幕府の力を据えました。
きっと当時は、延岡から南九州をみていたのでしょう。
posted by うちだりさ at 21:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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