2018年06月17日

戦争と原爆

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「戦争と原爆展」へ。

体験談を聞き、家族がいること、白米が食べれることに感謝しないといけない!と、強く思いました。平和であること、今の時代に生まれたこと、祖先のお陰です。
戦争体験者の女性は、幼少期に戦争を体験し、戦後、お腹がすいてたまらなかった時に、お母さんが竹の皮で包まれたおにぎり(銀シャリ)を食べさせてくれ、その時の銀シャリの美味しさが今でも忘れられないと言います。外で母の横に座り夢中になって食べていると、ふと気付いたら周りに子どもたちがたくさん群がっていたそうです。銀シャリを食べる姿を羨ましそうに眺めていた、と。母が、みんなに分けてあげようと、銀シャリをあげてしまったそうです。1人のみすぼらしい男の子みたいな女の子が、銀シャリをもらわず、こう言ったそう。「お母さんがいて、いいですね。」
今でもおにぎりを握ると、その時の光景が思い出されて涙が出るんだそうです。

また、別の体験者は島野浦空襲について語られました。5月2日、小学校で朝自習をしている時、突然、弾の音が鳴り響き、教室には肉片が飛び散っていたそう。お母さん方が出血する我が子を手当てし、駆血したが、「お母さん、痛いよ。痛いよ。」と泣き叫ぶ我が子の駆血帯を外してあげた子は、亡くなったそうです。泣き叫ばれても駆血帯を緩めなかった子は、生き延びたそうですが、片足のない人生を頑張って生きたといったお話でした。

延岡では、昭和20年3月4日から空襲が始まりました。以下、延岡での全ての空襲です。

3月4日 伊形松原方面 1名即死
3月5日 島野浦 海軍駆潜挺と交戦
3月18日 延岡上空の大空中戦
5月2日 島野浦空襲
5月10日 ベンベルグ 寄宿舎爆撃
5月14日 浜砂空襲
6月26日 中の瀬空襲
6月29日 延岡大空襲
7月16日 レーヨン工場爆撃
8月4日 ベンベルグ工場 爆撃
8月5日 本多屋旅館に爆弾
8月8日 薬品部電解工事爆撃・済生会病院炎上

12回
posted by うちだりさ at 21:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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