2020年02月11日

おくりいえ「後藤邸」

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今日は、学芸員の増田さん、建築士の岩本さんの講話により、後藤邸の歴史秘話ヒストリアを聞くことができました。
そもそも、延岡市役所周辺は円墳や遺構などの発掘がみられました。
近世では、藩主が高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、そして内藤家が最後に延岡を治めましたが、本小路、東本小路、桜小路など城山を囲むように「小路」がつく道は、御家中が住み、武家屋敷が並んでいたそうです。後藤邸のある場所も、武士が住んでいました。
昭和12年、延岡市役所と県立延岡図書館が全焼しました。同年、後藤作次郎商店を営む後藤作次郎さんにより「後藤邸」が建築されたそうです。その後、昭和20年、またしても戦時中の空襲により延岡市役所は全焼。しかし、市役所の隣の県立延岡図書館と、図書館隣の「後藤邸」は空襲から免れたそうです。
83年経った今も、当時のまま、しかも贅沢な造りのままで残っています。
後藤家は、初の日本一周飛行に成功した後藤勇吉氏とご親戚だそうです。後藤家は、裕福な一族だったようです。以前も書きましたが、あの国立競技場の建築家 隈研吾さんは、後藤勇吉さんの親戚ですから。ひと味違う血筋ですね。

後藤邸の見所は、たくさんありました。
一本物の長い丸太が、桁に3本も使われています。希少価値の高い柿の木でできた黒柿が床の間に使われていたり。雨戸は濡れることのないよう、室内から出すことができたそうです。出窓は工夫が施され、玄関のタイルはモダンなデザイン。お庭も以前は錦鯉が泳いでいた池。

解体するのが、もったいないですねー。
解体後の後藤邸のDNAを残す取り組みが、始まりました。
後藤邸の一部でも残していただけるように、署名活動へのご協力、よろしくお願いします。
posted by うちだりさ at 22:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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